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04.02.2003
 
コアメンバー

小川 希
1976年 東京うまれ

Ongoing vol.01開催のお知らせチラシ草稿より:

どらさんへ

最近はどうですか。
面白い奴と知りあったり、面白いことにであったりとかしてますか。

僕らの世代は、誰かにどんなに面白く新しい企画があると言われても、 内容を聞いてみるとなんかどっかで聞いたことのあるような気がしたりして、 心躍るようなことはあまりないよね。リアリティの欠如とかいうのかな。

で、俺はそういうごくありふれた日常に対して、そんなもんでしょといって適当に時間を過ごしていくのがあまりにも満足いかないと感じ、あるひとつの企画を思いついた訳なのです。

その名はONGOING。

これは、今ある言葉で無理して言ってみれば、美術の展覧会なのだけれど、普通の展 覧会とはぜんぜん違う。まずなんと言っても、集まってる作家が若い奴しかいない。みんな俺らと同じ70年代うまれ。しかもこの展覧会にはそれをまとめ上げる年上のおっさんとかが、一人も関わってないんだよ。なんと主催者も全部70年代うまれ。

70年代というのは、いまいちこれといった繋がりにかけるというか、何というか他人との距離をある程度保ったままで、上手にやっていく技術がずば抜けてあるよね。 それって、ある面、楽で生きやすいとも言えるけど、それ以上に何か非常に寂しい気 がしない? みんながみんなそんな事を考えているかどうかはわからないけど、この展覧会に出展 する作家は、この企画に何らかの新しい臭いを感じて集まってきてくれてる。 それは、若者同士のネットワークがここからうまれそうな気がしてるからだと思う。 それと表現という手段をとおして、おれらの時代を形作っている輪郭が見える気がしてるのだと思う。輪郭を形作る同士のようなものを探す場としてこの企画にあつまっ て来た。

まあ、そんなことを抜きにしても、なんか自分と同じくらいの年の奴が、しかもみんな自分独自の現在進行形の表現をしたいといって70人も集まるなんて単純にすごくない?

今時、そこになんらかの利益とかそういった類のことがなくって、こんなに多くの表現者が集合するなんてそんなのあり得ない気がしない? ぜったい何かここから起こるよ。来てみて損は絶対しない。 時代が変わる目撃者になるべき。

自分を出さなければ、相手も同じ態度をとる。 でも、一度自分を出してみると相手も今までとは全く違った顔を見せてくれたりもする。相手に対して自分をさらけ出す。それは俺らにとってものすごく難しいことであると同時に、人とのコミニケーションの根本的な第一歩な気もする。 そんで、そういう自分の事を自然にさらけ出す環境ができればいいなと感じていたわけです。このONGOINGには、おれらの求めていたそんな世界があるわけだよ。

直球勝負の若者文化に是非、デットボールくらって見てくれ。
さぼれなりすと宣言


Ongoing vol.01企画書草稿より:

 今回このようなお便りをお送りさせていただいたのは、私たちQuake Centerであるひとつのプロジェクトを立ち上げ、それに伴い同時代の作家の参加の呼び掛けを行うためです。非常にお手数かと思いますが、少し時間をいただき私たちの考えをお聞きしていただければ幸いです。

 現代日本の美術を取り巻く状況は、表現することを主体として生きている人々にとって、はたして満足いくものといえるでしょうか。また、そういった作家といわれる人々以外の現代日本人にとっては、美術あるいは、表現というものは、日々の生活において身近なものと言えるでしょうか。

 本来、表現することは誰もが持つことの許される要求であり、また、それがひとつの形としてあらわされた美術にふれることは、その体験を通して受け手自身の世界を広げることができる貴重な体験のはずです。

 しかしながら、日本の現状はどうでしょう。一部のキュリエーターや評論家が中心となり選出される作家層。そのような作家のみを集めた展覧会に興味を抱き、足を運ぶ人々が、美術業界以外の人々で日本全体にどれだけいるのでしょう。またそういった状況に対して疑問を抱き、改善を試みている美術関係者がどれだけいるのでしょう。

 同世代の若者が何を考え、何を見て、どのような世界を生きているのかを作品を通して多くの人が体験する。そのような場を設けることは、今を生きる私達にとって貴重かつ有意義な経験であると考えられますが、現状ではそのような機会を持つことは多くはないのです。

 こういった状況を改善する手段はどこにあるのでしょうか。それには、まず第一に、美術が、それとは直接関わっていない人々に対しても影響力を持つような魅力あるものにならなくてはなりません。「美術」が、その文脈というカッコつきの世界からぬけだし、現代の我々にとって身近で『リアル』な、なにものかに生まれ変わらなければならないのです。それが可能なのは今のギャラリー制度で成り立っている「美術」や、選考者の考えによってのみ集められた作家同士のつながりが非常に薄いと思える展覧会で見ることができる「美術」ではないと私達Quake Centerは考えます。

 戦後、欧米から輸入され続け、一部の評論家やキュリエターやギャラリストによって作り出されたコンテキストの中でのみ成り立つ「美術」ではない、現代日本を生きる作家によるストレートな表現の形。それこそが現代の日本の美術が生まれ変わるべき方向なのではないのでしょうか。また、そこにこそ、見る側を魅了する力が生み出されるものと我々は信じますし、日本の美術環境が改善されていく希望があると思うのです。そういった考えの基に、今回のプロジェクトが創案されました。

 このプロジェクトには、2つの大きな目的があります。
1つはギャラリーや美術館など既存の枠組みの中で作品を発表することに何の興味も持たない人、もしくは発表する機会を持たない同時代作家(具体的には、大学や専門学校を卒業後も制作をつづける30歳ぐらいまでの作家)に、作品を発表する場を設けること。このような機会を設けることは、いままでのような欧米の文脈主体の日本の現代美術界の作り上げてきた美術とは全く異なる、日本独自の新しいリアルな表現の動きがうまれる可能性を多く含んでいると思いますし、作家同士の自由なコミニケーションを促すことにも繋がっていくことでしょう。

 もう1つは、限られた一部の美術好きのみでなく、より多くの、それまで美術に興味を持たなかった人々に対し、現代において自身の表現を行っている人のことを知ってもらい、彼らの作品や考えにふれる機会を、何らかのシナリオの存在しない形で実現することです。作家と観客、両者を余計なフィルターなしに近づけること、作品を通して両者のコミュニケーションを成り立たせることができれば、そこに、作家にとっても観客にとっても表現という手段の中に新たなる発見を見いだせることとなるでしょう。

 今回の展示スペースの規模は、約20名分の作家の展示が可能となります。そのため、20人を大きく上回った場合、本イベント参加作家同士による、展示作家の投票を持って、選出を行うという方法をとりたいと思います。この作家同士の投票を展示作家の選出手段としてもちいることに関して、主催側である私達Quake Centerが作家を選出するのでは、現在のキュリエターやギャラリスト達の選出と何ら変わりがなくなってしまうというのが、この方法をとる最大の理由です。個々の作家の作品説明をのせたCDRデジタルデータもしくは紙によるカタログ出品希望作家カタログを出展希望作家に配布し、作家は各々10票の選出票が与えられ、自分の作品と同時の展示を希望する作品を選ぶこととなります。

 自分と同世代の作家が何を思い、どのようなものを制作をしているのかを知り、それを自分の視点で選出すると言うことは、自分以外の作家が作るものに対して何らかの積極的関係を見いだすことが可能になります。また自分自身の作品が現在の作家の間でどのような位置にあるかを見極める、良い機会となると私達は考えています。

 今回は廃校になった体育館を使用しての展示となる予定ですが、今後は場所や規模にはこだわらず、同一のコンセプトに乗っ取り、プロジェクトは継続していきます。たとえば今回展示されなかった作家の個展のバックアップを行ったり、また今回のような大規模な展示も年数回のペースで行っていく予定です。こういった長期的継続により、この活動を認知する人々が増え、美術というものを変えていくことができると信じます。




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