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22.02.2003
 
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イントロダクション
 Ongoing vol.02募集要項に記載の「About presentation」をふまえ、1月に実施を予定しているプレゼンテーション会に向けて助走を。(モデレータ:藤本玲

Ongoing vol.02 募集要項より
 "この世代に固有の価値観を明らかにする試みとして、具体的には、ご応募頂いた方に、他の応募者に向けて自分のプランをプレゼンテーションして頂きます。
ジャンルやバックグラウンドの異なる他の表現者は、同じ空間を素材としたとき、何を考え、どうアプローチしたのか。プランの立案背景からコンセプト、具体的な制作の方法まで、表現者同士で互いに評価しあうことが、今後のネットワークの契機となることを、そしてまた、各人の活動に反映されてゆくことを、目指しています。"

1)
 QCの設立主旨書の中では、「自分の考えを知り提示することと、他人の考えを受けて自身の世界観をひろげる」という事が唱われている。 しかしOngoing Vol.1においては、作家と鑑賞者との対話はツアーなどによってその目的を果たし、充実感を得られた結果となったものの、作家と作家、もしくは鑑賞者と鑑賞者の対話シーンを見い出す機会が少なかったとの意見が出た。

 来年1月に3回にわたって行われるプレゼンテーションは、作家と作家との対話シーン(「場」)を設定するという、非常に重要なコミュニケーション・プログラムとなることは間違いない。本来、作家と鑑賞者の交流の場はいくらでも準備は可能だが、作家と作家が各々の制作態度を表明し、互いに率直な意見や感想を述べる「場」の存在は曖昧である。何故なら、一様に「作家」と言ってもそれぞれの制作に対するスタンスが異なれば「自分にとってアートとは」という問いに対しての答えも全く異なり、それに従って「他者(社会)のリアクション」をどの程度求めるか、という差が大きく生まれる。 

2)
 例えば、ある作家にとって表現とは他とのコミュニケーションではなく、自己の世界観の確立であったり、自分にとっての「美」や「衝動/感動」の具現化であったりするので、他とわかち合う必要をさして意識的には認めない場合がある。作品のクオリティにのみ情熱を捧げる場合も同様で、このような場合、彼らにとって社会とは「自分(作品)」を受け入れるか(=売れるか)/受け入れられないか(=売れないか)という二極の視点で判断をする、という危険を抱えることとなる。それで満足できる作家はさておき、Ongoingにはそれ以外の作家、自分一人では解決しきれないフラストレーションと野望(?)を抱える作家が集まるに違いない。

3)
 ではここで、QCが出来ること、すべき事はなにか? それは作家自身に表現行為のもつ広がりと力を認識してもらうこと。もちろんQCのメンバー共に。すぐれた作家は作品のクオリティを高めるだけでなく、その作品がうけいれられる土壌(環境)をつくる努力も同時にしている。それを現実化するには、やはり「他者を知る」ー自分を取り巻く社会そしてそれをさらに内包する世界で今、何が起きているのかを知るー事がまず必要となり、それは「自分がどこに行こうとしているのか」を見い出すことにつながる。QCの役割は作家にそれらを喚起させるとともに、自分たちも新たな視点での考察を柔軟性を持って試みることである。

4)
 そもそも日本人作家(ここでは美術に限る)はロゴスに重きを置く事が少ないため、作品以外で自分を表現する機会を婉曲に回避する傾向があり、またあったとしてもそれに対して相手が明確に感想を述べたり質問する場はさらに少ない。結果として作家が作品を「展示しっぱなし」だったり、鑑賞者が「批評しっぱなし」、という一方通行でかつ「何となくアートな気分に浸る」温い空間が出現する。初対面の人に言葉で自分を表現するのは至難の業だ。しかしQCが提示する「場」では、作家も今までの自分を乗り越え、未知の世界に踏み出すくらいの緊張感をもつべきであり、それを見る側(同時に作家)もそれと同じ覚悟であって欲しい。見る側も共に創造するくらいの気持ちを、でなければきっかけを見い出して欲しい、と望む。

5) 
 具体的には、QCは純粋な意味での主催者ではなく、QC自身も緊張感を保ちながら、ファシリテーター(進行担当)として1月のプログラムに「参加」することになる。この役割を全うするためには、QCメンバーは、ただ作品を見て美術批評を加える能力のみではなく、その作品をつくった作家がどんな人間かー日頃どんな事を考え、何を考えてその素材を選び、どのように社会と関わっていこうとしているかーこの点をプログラム中に迅速に見抜き、他と柔軟に考察出来る能力を強化する必要があるのではないか。でなければこのプログラムは美術予備校の講評会となんら変わるところはなくなってしまう可能性がある。(集まる作家は「講評」を望んでいるわけでは毛頭ないことを忘れてはならない。)また、一般のプレゼンテーションのように、QC側が参加希望作家を「受け付ける=聞き手」といった姿勢も無論考慮外としなくてはならない。あくまで主催は参加者全員なのである。


プレゼンテーションに向けた準備案として:
 QCWebにリンクをはり、メンバーが自分で選択もしくは推薦する作家(団体も可)・作品・イベントなどについて文章を書く。長さ不問。交代制?

・執筆のポイント
 QCメンバーの持つ多様な視点を活用し、審美眼またはアートリテラシーの能力を高めることを目的とする。既存の美術批評ではなく、作家の「人となり」を知ることの出来るような深みのあるものを目指す。自分が何故個人的にその人=作品に魅力を感じるのかを主に追求する。
● 現代作家(作品)に限る。(過去、または伝統的な作品でも、
  現代に通ずる価値観の比較としての引用は可)
● メディア評は参照せず、独自に新しい価値観を見い出せる事が望ましい。
● 制作者の思想背景、社会性、生まれ育った環境との関係に注目する。
● ごく個人的なこと(感動・記憶・トラウマなど)と思われることでも拾う。

・より具体的なプログラムの構想
 より具体的なプログラムの構想としては、上記考察を参考にしながら、1月に集まった作家が
○ 自分の視線
○ 伝えたい事
○ 素材の選択
○ 制作環境
○ 作家同士の質問(or自分が抱えている疑問)
 などを出来るだけ実直に話せる状況をつくる。ある意味、小規模なシンポジウムのようなものになる可能性はある。(あくまでもImage)

・テーマ(デスク)を用意。
Ex: 「あなたにとって『場』とはどんなものですか?」   
「あなたにとって『時間』とはどんなものですか?」 などなど。 他「家族」「素材」「作品と消費」「感覚」「教育」「異文化交流」「歴史」「社会現象」

・ここで留意したいのが、作家のほうに無理にあわせた形式はとらない事。なぜなら作家がこのプログラムに参加するまで考えもしなかった事、に気が付いて、新たな視点を持ち帰ったりするのも結果の果実であるから。
本格的なシンポジウムまたはディスカッションまではいかないかもしれないが、それに準ずる進行の方法論を考えることが必要。
以上の点をふまえて1月のプレゼンテーションに臨めることが望ましい。(藤本玲)




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