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常設展展示作品
常設展展示作品22作品は、応募者同士で互選して選ばれた作品です。
タイトル: vague (indefinite landscape vol.04) |
作者: 足立桃子 Momoko Adachi |
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形式/素材: ビデオインスタレーション |
制作年: 2001~2002 |
コメント: 「次のイメージを見てください」………コンピュータ音声が鑑賞者に50のイメージを見ること、考えること、感じることを一方的に要求する。そして一方的な否定/肯定を繰り返す。真のインタラクティビティの成立はいかにして可能かを探るための習作。少し沈んだところにあるフェイズから眺めると、作品が一辺倒に投げかけてくるメッセージ以上に、人々が生きるなかでそれぞれの心に抱える(日常は隠蔽されている)異なった思考が浮かび上がってくるような装置として働く作品を、私は提示したい。 |
タイトル: REM2(Tracks) 他1点 |
作者: 江場左知子 Sachiko Eba |
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形式/素材: ビデオインスタレーション |
制作年: 2001 |
コメント: 「あらゆる意図が沈黙し、極まって、非人称的な意識が生まれ、覚醒と非覚醒、虚構と現実のボーダーラインはますますその幅を広げて、それは既に“ライン”とは呼べないほど大きく広くなっていった。」 画面はモノレールの線路と空だけが広がっており、絶え間なく前進し上昇する、3分間の音のない映像です。 |
タイトル: All Work and No play Makes Jack A
Dull Boy. |
作者: 海老原靖 Yasushi Ebihara |
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形式/素材: FRP樹脂、アクリル塗料 |
制作年: 2001 |
コメント: 私達はこれまでに無数の映画を鑑賞してきているが、私達はそれらの映画を完全な形で記憶しつづけることはできない。映画は時間の中で解体され不完全な形で記憶される。全ての記憶は時間とともに次第にその姿を変えていて、それとは違うまったく別の記憶と混ざりあったりしている。そして私達は何かを思い出すときにまったく関係のないことを同時に思い出している。識別のつかなくなった映画の断片達は僕の記憶のなかで幽霊のように彷徨い、ふと現れては消えるをくりかえす。 |
タイトル: 遠藤もとこ+ART LAB OVA |
作者: 遠藤もとこ+ART LAB OVA Motoko Endo + ART LAB OVA |
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形式/素材: |
制作年: 2002 |
コメント: ART LAB OVAという場を利用して描いている遠藤もとこさん。Ongoing展において、彼女にとっての初めての展覧会を開催するまでの過程から、「表現を展示、発表する」ということを、改めて問い直してみるためのアートプロジェクトです。 |
タイトル: The House of Gaijin-san |
作者: 大塚豊 Yutaka Otsuka |
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形式/素材: テキスト、写真 |
制作年: 2001~現在 |
コメント: 私達がアジアなどの海外を旅行したときに利用するゲストハウス。そこはホテルより滞在費が安く、そのぶん簡素な造りになっていることが多い。だけどそこにはリビング、キッチンなど滞在t?者たちの共同のスペースがあり、ホテルはもちろん普通のマンション暮しにはない住人同士のコミュニケーションがある。東京近郊にもこういったゲストハウスが点在し、そこを訪れ滞在する人たちやその部屋を写真におさめ、聞いた話を文章で添えるということを続けることがこの作品の内容である。 |
タイトル: Big Sleep 他4点 |
作者: 小川格 Itaru Ogawa |
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形式/素材: 絵画(キャンバスに油彩) |
制作年: 2002 |
コメント: それに見合った内側が存在しない外側。無意味に装飾された人工の皮膚。主を永遠に持たない家や服(のようなもの)。空虚によって充填されたリアリティのない形容詞(のようなもの)。流れる血液の涸れた心臓(のようなもの)。内側と外側の境界自身は、それらのどちらに属するのだろうか?現代の我々の姿は空虚な内側と不可視な外側との境界のようなものだろうか? |
タイトル: The Lightness of Being |
作者: 小川希 Nozomu Ogawa |
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形式/素材: インスタレーション |
制作年: 2002 |
コメント: 校舎に入ると数カ所に、テレビモニターがあり、狭い空間の中で不審な動きをする男を映し出している。音は無い。さらに進む。ふと、騒音がする。叫び声のようなものも。音の出所は小さな部屋。部屋には1つのロッカーとモニター。音はこのロッカーの中から響いてきている。モニターはまたあの男を映し出している。しばらく映像を見て、ロッカーから聞こえてくる音を聞く。どうやらこのロッカーの中に男がいるようなのだが、どうもそれは確かではない。ただ、そこには異様な存在感だけが漂っている。 |
タイトル: 1988.06.30 |
作者: 岸井大輔 Daisuke Kishii |
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形式/素材: |
制作年: |
コメント: 1988年6月30日に、あなたは何をしていただろうか?あなたが1970年代生まれであれば、あなたの精神はその日を活動し、乗りきった。そして、今日を、他の大勢と生きている。このプロジェクトは、舞台演出の手法である「記憶の再生」を用い、互いに関係の無い人に、1988年6月30日の記憶を思い出させる。そして、彼等が語り合うことで、モザイク状の「同時」を浮び上らせる。歴史物語とも、数量化され得るモデルとも関係無い同時性を求め、プロジェクトは未だ継続中である。 |
タイトル: 朽 |
作者: 小瀬村真美 Mami Kosemura |
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形式/素材: 映像(カラー)、サウンド |
制作年: 2001 |
コメント: この作品は17、8世紀の静物画と同じようなセットを組み、その写真を1〜2時間に一回、デジタルカメラで撮影し、それを一か月半程続けたもの、人物などの静止画像を全部で3000枚程度、さらに絵画に見えるように彩色、補正などの加工を施した後、つなぎ合わせたアニメーション作品です。 |
タイトル: 荒波に見る |
作者: 鷺山啓輔 Keisuke Sagiyama |
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形式/素材: フィルムインスタレーション |
制作年: 2002 |
コメント: 2001年、東映株式会社のクレジット・タイトルが、リニューアルされた。御社によると地球温暖化の影響のたt?め荒波が起きず、撮影困難だからだそうだ。映画ファンに親しまれた「あの荒波」の姿をみたくなった。撮影現場の太平洋に突き出た千葉県犬吠埼へ向かった。眼前の「見てきたはずの風景」に圧倒される。荒波に向かって、佇む。絶え間なくそこにあった風景に、映画の幻影を感じる。虚像としての荒波。犬吠埼に存在し続ける荒波。人々の記憶に遺っていく荒波。意義のある膨大な時の流れを感じる。 |
タイトル: Resemble or Imitate? 「似ているのか、似せているのか?」 |
作者: 佐藤佳代 Kayo Sato |
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形式/素材: ビデオインスタレーション |
制作年: |
コメント: 作品は私の知人達に2つの質問をし、その答を撮影した物である。「自分が今まで誰かに似ていると言われたことがありますか?」「自分を誰かに似せたいと思ったことはありますか?」彼らが私に告げるこの質問の「答」は同時にこの質問を問う私を問い直す。問い続ける事は私にとって自分を形作る事で其れ故私は「問う行為」を続ける。作品はその軌跡であり其れのみだとも云える。それ故、私は有りの儘の「答」を出来る限り歪曲せずに提示する事が、とても重要だと思っている。 |
タイトル: Video Objects |
作者: 瀧健太郎 Kentaro Taki |
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形式/素材: ビデオオブジェ、ビデオイメージ |
制作年: 2001~2002 |
コメント: スケッチ的なビデオアートのオブジェの提示。ビデオアーティストもモニタとカメラとデッキを使って、実験を繰り返してゆく。そのプロセスで生じる問題やテーマを後の作品につなげてゆくのであるが、これらビデオに関連したオブジェ群はスケッチ的な手軽さから、より大きな問題を引き起こすきっかけになり、非常に重要な手がかりとなる。個人の内面や自己表現などとは程遠い、現代のイメージ情報の持つ、あるいはメディアの問題を構図化し、可視化するもの。 |
タイトル: 水面映画祭 |
作者: 千木良悠子/丈和/蔭山周 Yuko Chigira/Tomokazu/Shu kageyama |
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形式/素材: ビデオインスタレーション |
制作年: 2002 |
コメント: 光と影の饗宴、水面。真昼の光線や夜のサーチ・ライト、ゆらぐ木々のざわめきと天を横切る鳥の声、ミルクのたゆたいにスープの沸騰、迸る奔流と静まり返る泉。スクリーンを交錯する光と影が映画なら、水面はそれ自体が映画です。それでは、水面を撮った映画は、映画を撮った映画?難しいことはさておき、涼しい風の吹くテントに立ち寄って、様々な作家たちによる水面映像をゆっくりと、あるいはさっと、眺めてみてください。そして、興味が湧いたら自分で自分の水面を撮ってみてはいかがでしょうか。 |
タイトル: 小さく前へならえ |
作者: 土屋貴哉 Takayoshi Tsuchiya |
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形式/素材: インスタレーション |
制作年: 2001 |
コメント: サッカーなどスポーツの試合が発端となって起きた出来事を用いた作品。実際に歴史的なエピソードを持つ試合の未使用チケットを金色のフレームで額装し、金色に光る真鍮板に、事実を言葉として刻み込みタイトルとして使用。プラスチック製の玩具のゲーム盤を大げさな大理石の台座の上に載せ、政治など世の中の動きにまで影響を与えてしまう"sports game"を額縁や台座といった美術の制度的な部分もアイロニカルに取り込んでしまった作品。 |
タイトル: honey work 弁天池- surroundings - |
作者: 西村雄輔 Yusuke Nishimura |
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形式/素材: インスタレーション |
制作年: 2001.11~2002.4 |
コメント: 今回の作品は、私が住んでいる我孫子の手賀沼の上流にある弁天池という場所に蜂蜜を設置し、何度も散策しながらその場と関わり、その中から生まれてくる感情や予感、期待といったものを種(蜜蝋・蜂蜜)を通して発見してゆくというものである。展示したものは、その場所に起こった様々な出来事や、自身の行為などの記録を作品として提示していた。日常的な場所と新しい関わりを持つことで、生活している地域におこる物事の“何か”を発見し、その場所の未来を予感、期待してもらえたらと考えている。 |
タイトル: Forgotten Family 他2点 |
作者: 羽藤明夫 Akio Hato |
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形式/素材: アニメーション |
制作年: 2000~ |
コメント: 私はアニメーションを作る際、「絵」に重点を置いている。描かれるものは印象的な夢や、私の中から自然に湧き出てくる情景などである。人間の深層心理にも通じるものを私は表現したい。「絵」であることの意味は観る側に自由に感情移入をさせうる点にある。生身の人間では個性が浮き立ってしまい、内的世界を表現するには生臭すぎるのだ。私が作品に求めるのは感覚とビジョン(vision/夢想、空想、光景、映像)であり、それに必要なのは絵画表現と映像表現の融合なのだ。 |
タイトル: Border line project |
作者: 笛田亜希 Aki Fueda |
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形式/素材: インスタレーション |
制作年: 2001~ |
コメント: 展覧会開催期間中毎日、その日の朝出来たてのスモークサラミハンバーグ人形を1体、専用の黒ナイフとフォーク(プラチック製)で食せるように準備しました。理科室の机の上に並び立つ17体の人形達に囲まれ、そのサラミ達が放った匂いの充満した中で、自らの手でカットし、食してもらう。「おいしかった。」「うれしかった。」「ナイフ入れるのにドキドキした。」「感触が怖かった。」などなど。いろんな人のいろんな感覚、感想を、サラミと一緒に噛みしめた。そんな感じの場になりました。 |
タイトル: THE SPHERES (天球) |
作者: 松村アサタ Asata Matsumura |
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形式/素材: インスタレーション |
制作年: 2001 |
コメント: 表面に無数の穴があいていることにより、対岸の風景が透けて見えます。時間(自然光)とともに見え方が変化します。光は、物を認識する道具の一つですが、明るい程この作品は、透けて物質感を失います。 |
タイトル: 「一年一組、一年二組、さえも」 |
作者: 儘田元気 Genki Mamada |
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形式/素材: インスタレーション |
制作年: 2002 |
コメント: ある中学校の教室に入ると、真暗な中で目に眩しい強烈な閃光が瞬き続けている。誰も居ない。どこからか、雷鳴の轟音がなり響く。一緒に入った者の姿はフラッシュに合わせてコマ送りに輪郭だけが動いて見える。よく見ると、机の並んだ真ん中あたりに、黒い塊がじっとしている。大男が屈んだくらいの大きさだ。近寄ってみると、それは土の塊で、教室に唐突に土が160cmほどのt?高さまで盛ってあるのだった。 |
タイトル: a chair / a voice |
作者: 矢内里 Sato Yanai |
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形式/素材: インスタレーション |
制作年: 2001 |
コメント: 椅子自体がスピーカーとなり、椅子が振動することで音が聞こえる。その椅子に座ることで、音が体の中を通じて聞こえてくる。椅子から聞こえるのは一人の人の話声である。独り掛けの椅子を用いるのは、それがなんとなく孤立した印象を与えるからで、また、話声はそれが話されていた場所や時間から切り離されてしまうと、どうにもおさまりの悪いものである。独り掛けの椅子と、何処かで話された話声と、そこにただ座る人との曖昧な関係が生まれればよいと思う。 |
タイトル: フレンドコレクターズ |
作者: 山咲ナナ Nana Yamasaki |
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形式/素材: 衣類 コットン100% |
制作年: 2002 |
コメント: 消耗されるモノとしての「衣類」と消耗されない概念としての「部屋」を通して私達が大切にしている「社会(性)」を考える。またそのことにより生活世界における普遍性を探す。「部屋」は社会に対する希望と呪縛の抽象化を可能とし「衣類」は時代性と普遍性を体現していく。 |
タイトル: MAKING CLOTHES LINE IN THE SKY |
作者: 和田昌宏 Masahiro Wada |
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形式/素材: ビデオインスタレーション |
制作年: 2001~ |
コメント: 完成品を見なれた私達からするとこのビデオは非常に滑稽に写るであろう。なぜならばこのビデオは失敗の連続、ハプニングの連続だからだ。しかしながら実際なにか一つの物事を成し遂げる時にそれらはつきものであり、作品を完成に近付けるための重要な要素であり、経験であり、それがもっともエキサイティングな事だと私は思います。このプロジェクトは、頭にできたイメージに作品を近付けるために行った私自身のパフォーマンスのドキュメンタリーです。 |
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