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04.02.2003
 

Making of Ongoing ーOngoingができるまでー
Ongoingが企画されてから実施されるまでのドキュメントです。


はじめに

『Ongoing 展覧会開催展示作家募集』と書かれた用紙が都内各所に置かれたのは昨年2001年の暮れのこと。この一枚の用紙から、成功するかはおろか、実現するかさえも皆目見当もつかない1つの試みが幕を開けた。このOngoingは、学校や企業などといった、いわゆる大規模な組織が企画する展覧会とは大きく異なり、また顔見知り同士の作家が集まり行うグループ展と呼ばれるものとも様相を異なっていた。用紙の募集要項の欄には、以下の四つのことが書かれている。

  • 参加資格:1970年代生まれの方
  • 参加費用:出展者選考カタログ制作費として1,000円を負担願います。
  • 作品の規定:テーマ・形態ほか、制限なし。
  • 出展者選出方法:全参加者による投票制

これらはどれも、いわゆる通常の公募展の募集要項では決して見ることのないものばかりといえる。出展者選出方法にかかれた全参加者による投票制など、現代美術の公募展ではほぼあり得ない方法である。キュレーターや、選考審査員といった自分以外の誰かの手に作品の価値を委ねるのではなく、作家が自分たち自身の手で新しい価値を見いだしていくべきであるという運営側の思いがこの方法には込められている。

Ongoingに関心を示した作家が何より目を引かれたのは、「1970年代生まれの方」という部分だったのではないだろうか。主催団体のQuakeCenterが、70年代生まれというのを唯一の参加資格においたのは、何よりもQuakeCenter自身が70年代生まれのメンバーにより構成されていたというのが大きい。70年代生まれという、これといってとりだたされることも少ないこの世代に、はたして“共有する何か”があるのかどうか、それをOngoingという表現の場をとおして見てみたいという思いがあった。人づてに広まっていったOngoing参加者募集の呼びかけに対して、様々な背景を持つ70年代生まれの表現者、70名が集い、そこから冒険は始まった。


企画ができるまで

Ongoingの企画が持ち上がったのは2001年9月。QuakeCenterの一年間の活動を通して浮かんできた問題意識に対して、何らかの行動をおこそうというのがそもそもの動機だった。Quake Centerは美術、建築、工学、音楽、社会学など異なるバックグラウンドを持つものが集まった組織で、「表現」という大きなテーマのもと、週1のペースで定期的に勉強会を行っている。そこで浮かび上がってきたのが、現代の日本における表現に対してのさまざまな不満だった。それは形骸化してしまった美術への不満であったり、発表の場のなさであったり、細分化された表現の現場への不満であった。現状分析を終えた後、ではそれを改善するにはどうしたらいいか、それを考え始めた時だった。

それらの問題に対して答えはそう簡単には出ない。それでも何か行動をおこしたい、むしろ社会に対して積極的に行動をおこすことによってしか、その答えは見つからないのではないか。そんな思いが形をとるため動き出した。まず問題となったのが、コンセプトと場所の問題だった。コンセプトを十分に練ってから、それにあう場所を探すのか、もしくは場所をまず確保して、そこから企画を練り上げるのか。すべてが手探りの中、QuakeCenter内においても意見が完全には一致せず、2ヶ月がすぎる。結果としては両方を平行して行うことになるのだが、その間、ミーティングを重ね、コンセプトを練るのと同時に、会場となる場所探しを、いくつかの区役所を実際に歩いてまわり、またインターネットなどを駆使し行った。

企画に関して一番の問題となったのは、誰にたいして募集をかけるのかということだ。当初、現代美術を専門としている70年代生まれの者を対象とするという話があったのだが、より広く開かれた表現の場の創出という理想のもと、「ジャンル不問の表現作品を公募」という形で募集することに決定した。しかしそこで、また新たなる問題が持ち上がる。それは公募で集まってきた作家の選出方法をどのようにするかということだ。誰かに権利を与え、キュレーションを行うというのでは、「自分たち自身の価値を自ら生み出す」という、QuakeCenterの掲げた1つの大きな目標とかけ離れてしまう。かといって、限られたスペースの中で応募された全ての作品を展示するのは、事実上、不可能である。やはり主催側で選ぶべきという意見、早い者順にするという意見、他にも幾つかの案があがったが、「自分たち自身の価値を自ら生み出す」という目標にもっとも合致した方法、それが全参加者による投票制だった。これは、参加作家に投票権が与えられ、10作品を選ぶことができ、その得票数の上位20名が実際に展示できるというものである。


作家募集

こうして募集段階で必要な項目が全て決定し、実際に作家を募集することとなった。募集はチラシ、ホームページ上で行った。募集開始日は2001年の12月17日。この時点で会場となる場所はまだ決定しておらず、企画書を提出しその返答を待つという状態だったが、募集開始の約一週間後に港区から暫定的ながら許可を得る。

年が明けて、2002年を迎えた1月31日がエントリーの締め切りであった。参加作家は、エントリーの際、自分の作品の写真とコンセプトを載せたデータを主催者に送る。それをQuakeCenter側でまとめ直し、全参加作家の作品の載った1つのカタログと付随するCD-ROMを作り上げた(CD-ROMには映像や音のデータが入っていた)。それが作家選出用のカタログである。この選出用のカタログデータ作成の際に、QuakeCenterは作家側に作家の名前、経歴等はいっさい記載しないようにお願いした。これは、作家の経歴などにとらわれず、作品それ自体のみが選出の基準となるようにという考えからである。こうしてできあがった選出用カタログは2月11日、各参加作家に郵送された。


参加作家との関わり合い

エントリーの締め切りが終わった2月9日、Ongoing説明会が開かれ、参加作家とQuakeCenter側との初顔合わせが行われた。QuakeCenter側から、Ongoingを企画した経緯、Ongoingで目指すこと、今後の参加作家との関係について、また会期中のプログラムなど、様々なことについて話がされた。ここでもっとも主催側が強調したのは、このOngoingというものは一過性の展覧会ではなく、継続して行っていく試みであるということだ。従っ覧会は、展示する20人を選ぶのが重要なのではなく、作家同士が新しいネットワークを作り上げ、そこから新しい価値を見いだしていくことこそが目的であり、今回の展覧会はそのスタート地点にすぎないのだということを参加作家にうったえた。そのために、この展覧会では、主催と作家という明確な区別は必要とせず、両者でこの試みを築き上げていきたいという主催側の思いが話された。

主催、参加作家共に顔見知りはいるものの、基本的に初対面同士。それにもかかわらず、参加者からも活発に意見がだされた。もっとも多かったのは、「Quake Centerが何をやりたいのか、このミーティングにきてみて初めてわかった。」という声。作家募集のチラシやウェブページなど、文字になってしまった言葉では、最終的に人をまきこむ原動力となる「企画側の熱さ」のようなものがいかに伝わらないかを実感。この文字になった文書と口頭で伝えるコミュニケーションのギャップは、会期まで何度も繰り返し問題となった。とりわけ、参加者と運営の垣根の低下を実現するために、ウェブやメールを用いてできるだけ情報・プロセスの公開を行ったが、なかなかうまくコミュニケーションがとれず、最終的には、皆が顔を合わせるミーティングの重要性を再確認することにもなった。

また、大きな物議をかもしだしたのが、作家カンパ制。Ongoingはそもそも作家からはお金をとらず(選出カタログ制作にかかる実費のみ徴収)、基本的には運営側の持ち出しと助成や協賛金でその費用をまかなう事を予定していた。しかし必死の助成企業回りにもかかわらず、これまでの実績がないこと、会期が迫っていることを理由に難航。それをうけ、展覧会カタログもなく広報もない最低限の展覧会を、運営側のまったくの自腹で行うのよりも、企画の主旨に賛同するので、自分たちがベストと思える展覧会を創り上げるために、お金をだしてもよいという参加作家の声をうけ、任意のカンパ制を導入することになった。しかし、これに対して運営側の責任はどうなるのかといった疑問から、参加者から大きな反発がでた。メーリングリスト上でのやりとりや、ミーティングでの議論を経て、「任意」であるという事を確認して、カンパを募った。


展覧会へむけて

2月16日、港区から正式な使用許可が下りる。会場として決定したのは数年前に廃校となっていた旧三河台中学校であった。2月23日に第一回目となる作家ミーティングが行われる。説明会で話された主催側の意思が伝わったのか、多くの作家が展覧会開催のために必要な具体的な実務を引き受けることに同意してくれた。カタログ制作、展覧会の外装・内装デザイン、カフェの運営、チラシ・DM配布など。当日のプログラム案も主催側からこの日に話された。この当日行うプログラムは、単なる見せて終わりの展覧会にならいために、参加する作家や来場者がより密接な関係性を創り上げられるために考えられた。ゲストトークやアーティストトーク、Ongoingツアーなど、実際に行うことになるこれらのプログラムは、1つ1つ長い時間をかけ主催、作家間で議論された。このミーティングを選出投票の締め切り日である2月24日の前日に行ったのは、出展作家が決まる前に、できるだけ多くの人が、積極的にこの展覧会に関わるきっかけを作っておきたいというQuake Centerの思惑も隠されていた。

そして2月24日、選出投票の締め切り日。当初、展示作家は20名ということになっていたが、同得票のため最終的に22名の作家が選出された。結果は3月3日にメールと電話で作家に発表さた。選出結果が出たあとも数回ミーティングが開かれ、細かいプログラムや実際の個々の作家の展示場所などが決定していった。ミーティングは展覧会までの期間が差し迫っていたため、前半の午後10時頃までは実務的な話が中心となったが、その後第2部は朝まで続き、現代文化論や、美術論、Ongoingの是非など、より抽象的で熱い議論が繰り広げられた。3月は作家や主催者側にとって目まぐるしい日々が過ぎることとなった。作家は自作の制作以外に、カタログやその他、割り当てられた実務を行い、主催側は広報を中心に最後のつめを行った。


Ongoing開催

そして、4月12日。実現するかどうかさえも危うかった、Ongoingは初日を迎える。主催側、作家側共に、観客によって満員となったオープニングパーティ会場で見せた顔は、形容しがたい喜びにあふれていた。果たしてOngoingで何がみえたのか、運営側、作家側双方から噴出した問題など、これから語られるべき事、反省すべき事には事欠かないが、まったくの手探りで始めた冒険がひとつの形をとったことに、胸は一杯だった。


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