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04.02.2003
 
コアメンバー

坪井 あや
1975年 東京うまれ

執着してこそ
:「リアル」を可能にするかもしれない1つの方法 (12.1.2002 改訂)

 "Life without obsessions is nothing 〜執着するものあってこそ人生〜"とは、ジョン・ウォータースの映画「ペッカー」による言葉ですが(これはりんちゃんのお気に入りの言葉なのですが今日はちょっと借ります)、なにかに執着すること、自分や誰かの執着を誰かと共有することは、何より面白いこと、何よりリアルなことだと思います。たとえそれがごく個人的でその人以外にはまるっきり意味をなさないとしても。もしかしたら、それが個人的であればあるほどおもしろいし、リアルかもしれない。

 気に入っている逸話の一つに、インディアンの祭りの話があります。 何時にどこそこで開催されるので来てね、がんばろうね、というのが何かをするとき一般的ですが、 どこかの部族では、祭りの日(というのはだいたい決まっている)、 準備万端整えたら皆でたき火を囲みじっとしてるそうです。 そうしてると、徐々に皆の中に「祭りの始まり」が湧いてゆき、そうして祭りは始まるのであって、いつはじめる、ということが最初にきまっているのではない、というもの。執着というのも、それに通じるものがあるのではないかと思います。

 執着の種類としては、あまりにばらばらに聞こえて意味をなさないかもしれませんが、例えば車庫入れや、昼下がりのサスペンスドラマの再放送をかかさずみるといった日々の生活のなかでの些細なことかもしれないし、食かもしれないし、洋服や家具、建築といったデザインかもしれないし、カフェや温泉や自然など快適な場を探すことかもしれない。ゲームやスポーツやコンピュータかもしれないし、祭りや結婚や子育てといった日常にある非日常かもしれないし、自分や他人や関係性、美、意味といった生の抽象的な考察かもしれない。メディアや都市や戦争といった社会や諸現象の観察かもしれないし、物語や小説、映画、アニメなどのフィクションかもしれないし、恋愛や交友や家族といった親密な関係性かもしれない。もちろん音や映像、絵画、身体、スペースなど自ら創作することそのものかもしれないし、執着しないことじたいかもしれないし、そのいずれにも含まれないことかもしれない。

 執着の共有のされ方には、個人的な執着を身近な人と共有する、身近な人のを共有する、誰とも共有できない、誰のも共有できないか、ある程度一般的に価値を認められている執着を、一般的な文脈にそう形で共有することが多いかと思います。それを、もう少し多くの誰かと共有したい、もう少し多くの誰かのを共有したいとき、対象を視覚/知覚だけではなく身体でもって体験することができる、芸術-表現-はとても有効な媒体なのではないかと思います。

 というのは、芸術-表現-は、言うは易し行うは難しとは承知の上ですが、そういった個人的な執着を、普遍性をもちうる形に整えて外にプレゼンテーションすること、さらにはそれを記録・保管してゆくことで、時空を超えて自分以外の誰かと共有すること、が可能だと思うからです。さらに、執着をそういった形でプレゼンテーションすることは、情報技術が発達し、表現メディアが多様で、長いことほぼ単一民族でやってきて国民性として共有する部分の多い現代の日本では、時間とちょっとした費用さえ割くことができれば、多くの人にとってそう難しいことではないのではないかと思います。

 当然そこに優劣は存在するかと思いますが、それは、プレゼンテーションについての技術・効果の高低によるものであり、取り組もうとする人や執着の対象を限定するものではないと思います。

 そして、執着には冒険がつきものだと思います。その執着を誰とも共有していない場合には、それを他の誰かと共有しようとすることで、もう誰かと共有している場合には、全く違う他の誰か他の文脈にもっていこうとすることで、何にも執着していない場合には、執着しているということを自分に許すことで。ですから、シティボーイズの公演に「丈夫な足場」というのがありましたが(公演自体は丈夫な足場がなくてよかったというものでしたが)、その冒険をできるかぎりさまざまな場面で引き受けることができる、強い丈夫な足場が必要なのではないかと思います。

 そういう冒険に関心をよせる人を受け止める、丈夫な強い場を作ろうとするのがOngoingプロジェクトであり、できればより多くの人により様々なかたちで関わっていただくことで、より強くより丈夫な場となり、ひいてはより多くの執着をかいま見、より多くの執着が育ってゆくのを見る可能性があることに、私はQuake Centerの活動の意義を見いだしています。

 そして、伽藍とバザール<http://www.tlug.jp/docs/cathedral-bazaar/cathedral-paper-jp.html>。



Ongoing vol.01 作家シンポジウムより:

 最初に文章にした理想みたいなものとそれがどんどん現実化していくところで生じてくるギャップだとかいろいろな問題だとか、そういうものをすごく目の当たりにしてきたんですが、それはすごく難しい。実際に作品を出す人とそうでない人がいて、そこにどうアクセスをつけていくのか、みたいなところ。すごくそこから広がっていくんではないかと思っています。



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